けして低くはないが、里全体を見下ろせるほどの高さには到底及ばないアカデミーの屋上でイルカは煙草を燻らせていた。
「意外に長く続いてるな」
気配を感じさせず現れた男___猿飛アスマ___はイルカに火を強請る。
ここでイルカは何が?と問う手もあった。必要であれば容赦なくはぐらかすぐらいのことはしたし、不必要であっても面倒であればそうするのが常だ。しかし幸か不幸か、今はちょうど長い、__言うほど長くはないが__昼休憩の上、奇跡的に付属の仕事が無く、またアスマには戯れを受け止めるだけの度量も遊び心もあった。申し分ない状況に逡巡したイルカは煙草を楽しむ振りをする。
微かな残り香が移ってきたとき、イルカは応戦の苦笑を浮かべた。
「マジメなお前にゃアイツは合わねぇ、と思ってたけどな」
笑みをどう捕らえたのか、アスマは話を続ける。面倒くせぇ、が口癖のこの男は、しかし存外に面倒見がよいのだ。
(マジメ、ね)
イルカは内心でごちた。視線を外すために、互い違いになる。
風が通り、また残り香を運んだ。
「そのうち飽きるかもしれませんね」
感情をのせない、ただ歌うように軽やかな声でイルカは呟く。
「ま、分かってるならいいのさ」
ぐりぐりと、子犬にするようにアスマの大きな掌がイルカの頭を撫でる。
「ちょ、やめてくださいよ」
イルカのぎょっとしてうろたえた様子が面白いのか、アスマはニヤリと笑った。
「アイツに泣かされたら、俺に言えよ」
大きな背が去っていく。
「…かぁっこいーい捨て台詞」
イルカは、煙草にまた、火を点ける。
そして、深く深く、息を吸った。
「仲良しだよね」
イルカを自宅へ連れ込むことに成功したカカシは、夕飯の支度をしながら会話に何気なく__これぐらいなら大丈夫だろうと当てをつけながら__吝嗇を散らした。イルカは、キッチンを背面に配置されている座り心地のよいソファに身を預け、無感動に相槌をうつ。
「貴方と俺が?」
「そりゃーもちろん、って、そうじゃなくて」
予期しないイルカの答えに、一瞬にして問おうとしていることがどうでもよくなったカカシだが、上忍の理性をもってして踏みとどまった。絆されている場合ではない、と気合を入れる。
「イルカ先生と髭が」
「髭?」
「アスマです」
あくまでもしらばくれようとするイルカに声をかけながら、それでも帰る素振りは見せないことを確認してカカシは内心でそっと安堵の息を吐いた。
「何かあったデショ」
「…別に何も」
「嘘」
イルカがソファの影に消える。思わず追いかけそうになって、火にかかったままの鍋を置き去りにできず肩越しに様子を見た。横になったのか、背もたれから足先が覗く。イルカの青白い足先。
「何か、言われたの」
「貴方に泣かされたら言いに来いと」
「へ?」
「”マジメ”な俺が、いつか貴方に捨てられて泣くのを心配してわざわざ声をかけてくださったんですよ」
あのクソ髭余計なことを、とカカシは呪詛を吐いた。少しだけ楽しそうに聞こえるイルカの声。笑っているのかもしれないな、とカカシはそっと溜息を吐く。
「”そのうち飽きるかもしれません”と申し上げると安心されたご様子でした」
「ちょ、イルカ先生!」
嘘デショ!と懇願する合間にあのクソ野郎、とさらに呪詛を吐き、今度こそ準備を整え終えてイルカの元へ近寄る。アスマとカカシの理解は違っていた。
”飽きるかもしれない”ということ。アスマは『カカシが』。カカシは『イルカが』。そしてイルカは、『どちらかが』。
両腕を交差させ顔を覆っているイルカに、カカシはそっと近づく。くすくす、笑うイルカにカカシは手を引かれた。横になるために解かれたイルカの長い髪が重力に従いカカシの左頬と左肩にかかる。くすぐったい、とカカシが首を竦めるとイルカはじゃれつくように肩に懐く。
「やはり訂正したほうがよかったですかね。」
隠された表情__きっと悪魔じみた微笑み__を想像しながら、カカシがそっと背中に腕を回すと、イルカの背が揺れた。拒否はされていないことを確認して抱きしめる。
「何を」
「”マジメ”なカカシさんには、”フマジメ”な俺は合わない」
「ワー」
「って」
「イルカ先生はフマジメじゃありません!」
逆光だったイルカの表情が、露わになる。聞きたくない、と耳を塞ぐカカシにイルカは笑う。柔らかく。
「嘘つき。…知ってるくせに」
ちがうもの、と頬を膨らませるカカシに、かわいいな、とイルカは囁いた。